ネットランダム改変

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ハッピーをネットで共有するのは無理すぎる

ハッピーという感情は非常にあいまいで、ぜんぜんハッピーじゃなくても、ひとたび「ハッピー」と書かれていると、「ハッピーな奴がいる!」と、自称ハッピーじゃない奴が集まってきて非難ごうごう。

そういう世界のどこがハッピーなんだいと言いたいが、言ってしまうとそれまたハッピーと取られるので、黙殺をかますしかないという。


幸福って追い求められるものかもしれないが、生きている限り、次々と幸福を求めながら生きてしまうので、幸福完了系というものが存在しない。

と考えると、幸福な人間なんてこの世に存在しないんだとなるけど、それもまた違って、だれもがそんな状態で生かされているのはむしろ幸福すぎるみたいな考えもできる。


ところが、幸福って、感情の上に存在して、今満足しているから幸福という視点と、今後困らないから幸福という視点はきちんと分けないといけないのにいっしょくたにされたり、いったい何の幸福を敵視しているのかと小一時間問い詰めたくなる妬みとかにマジレスするエネルギーとか沸かないよね。


結局、まだインターネットでは幸福論を展開するほど成熟していないのではないか。