ネットランダム改変

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インターネットは宗教

ここで取り扱う宗教は単なる記号だよ。キリスト教とか仏教のことじゃないよ。新興宗教のことでもないよ。
また、気がするよレベルのお話なので、真剣な話を読みたい方はスルーしたほうがいい気がするよ。
これくらい保険かけておけばいいかな。

かつての古典宗教や新興宗教でも共通すると思うんですけど、教えや神を信じることに帰依することで救われるとされているものが、少しずつ時代とともに変化していると思うんですよ。

スポーツも宗教だよねとか、ビジネスも宗教だよね、みたいな考え方をしていて、そう考えるとインターネットも宗教かなと。

毎週教会に通う代わりに2chニコニコ動画、なんちゃら小町に通い、そこに集う人たちで形成するコミュニケーションに帰依することで救われるだとか。

そうなると無断リンク禁止論争も宗教戦争みたいなもので、コミュニティ同士の争いに発展する可能性もある。
ところがそうはならないのは、論争自体もコミュニティに見せてしまうインターネットがあるわけで。
「ここはこわいインターネットですね」と揶揄する層がランバージャックデスマッチの様に取り囲み、
それすらも一個のコミュニティとして見て書き込むのもソラ恐ろしいと感じている層もいたり。
というのを耳で聞きかじって、「インターネットしていいのは成人してからだよねー。」という層もいるわけです。

そういった層のどこにいるかを問題にしなくてもいいインターネットでは、すべてがフラットであり、自由に階層を決めることができる。また決められた階層を信じることも捨てることもできる。そういった自由な空間といえるわけです。

その自由な空間を与えられたハッカーは聖書(RFC)に書かれたことを信条にへんてこな管理者をまくし立てる。

ところがインターネット黎明期からサイトを管理している人はそのころから続けているインターネットの啓蒙活動のために、より初心者、大衆に受け入れられるよう安全なサイト運営を心がけており、当時の嵐に対する耐性がついているために、論理武装が万全である。

そうした管理者は新参者であるブロガー、ブックマーカーは煙たい存在であり、自らは論理武装を解いているつもりでも、当時の呪縛からは逃れられずに、攻撃をしてしまう習性があるのかもしれない。

時代は変わりネットイナゴの攻撃は彼らには通用しない代わりに、現在の新参者たちを効率よく消耗しているかのように見える。

つづく

[ここまで書いた][つづきははてブで]